事務所を閉じることにあたり、お礼とご報告

12年間開いていた東の事務所を閉じることにしました。

私が借りてきた事務所は、退去する場合は半年前に退去申告を出す契約になっていますので、4月の選挙で落選した場合も考えて、念のため昨年12月に退去の申告を出しておきました。

これまでは、当選後に退去申告をキャンセルし、引き続き借りてきました。
しかし今回は、ギックリ背中や腰で、矢川の自宅から東の事務所まで通うのが難しくなってきている現状を踏まえ、ここで閉じることに決め、今後はもう少し自宅から近いところで探すことにしました。

7月までは家賃を払いますが、7月は現状回復のための改装となるため、本日鍵を不動産屋さんに返しますので、本日をもって事務所は閉じることになります。

ご近所の皆さまには大変お世話になりました。
4回の選挙をさせていただきましたので、ご迷惑も多々おかけしたことだと思います。
おわびと心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

今後の私への連絡先は議会事務局に届け出ている自宅と携帯電話です。メールアドレスはかわりありませんので、今後ともよろしくお願いいたします。

昨日、空になった事務所でささやかな事務所に感謝する時間を持ちました。
こんなに広かったんだとあらためて思いました。声も響き、冷房もよくきき、白い壁で明るく見えました。
しかし、やはり12年間の歴史を物語る様に、壁紙の一部ははがれ、傷もあり、汚れていたりで、私の議員活動を一緒にがんばってくれた仲間の様な気持ちがしました。
事務所というよりは、部室の様な場所で、家に帰りたくない、帰れない人たちが留まっていたり、議会レポートの発送作業をやったり、集まってごはんを食べたり、誕生祝いや成人式に出なかった人の成人祝いもやりました。低周波過敏症の人が寝袋を持って避難してきたことも、重度の化学物質過敏症の方が「ここは助けてくれそうなところだと感じて」と来られたことも、「海士町の島おこしを手伝って!」という持ち込みもありました。
最近は琉球新報をとり、壁新聞にして読んでもらっていました。百田氏の暴言があり、今こそ、琉球新報を多くの人にみてもらいたかったのに、これだけは残念です。
総じて、事務所はかけこみ寺みたいな居場所であった様に思います。

今回、引っ越し先が見つからないため、事務所にあった机や棚など多くを処分しました。
心機一転、新たな居場所づくりを考えていきたいと思っています。これからも、よろしくお願いいたします。