「まちに生きる」第3回まちづくりタウンミーティングを終えて

1月31日に東福祉館で開いたまちづくりタウンミーティングには30名ほどの参加者がありました。

しょうがいしゃの自立運動の先頭にたって生きてこられた八木下浩一さんは現在74歳。介助者がいなくなったため、しかたなく50人ほどの「老人ホーム」に入られています。

しょうがいしゃばかりいるところをつくるのは「差別」であるとして、養護学校にも施設にも体をはって闘ってきた八木下さんが、地域とはいえ、なぜ「老人ばかりいるところ」に入らなければいけなかったのか、そこのところを聞きたいと思っていました。

その点について八木下さんは「介助がお金になると制度が変わったので、高い方へ介助者が移っていった。しょうがいしゃも高齢者も同じで、地域で5~6人の小さなホームをつくるべきだ」と話されました。

会場からは、「グループホームだって管理されるから、最期まで在宅で生きられる様にしよう」という意見も出ました。

八木下浩一さんは、長年しょうがいしゃ運動をやってこられた先駆者でありますが、今、介助を必要とする高齢者の当事者運動の先駆者になっておられるのではないかと思います。

「分けることから差別が始まる。みんないっしょのまちをつくる」を国立市で実践していく時の原点であり、今の課題となるタウンミーティングでした。

参加された方の感想をご紹介します。

今日のタウンミーティングのテーマは、「共生(ともに生きる)」でした。第一部は八木下浩一さんが経験されてきた、しょうがいしゃが「まち(地域)で生きる」ための運動のお話でした。若い後輩へのメッセージ「動くこと、出ていくことで出会いがある」は、しょうがいしゃ運動だけでなく、他の分野でも共通しているのではないか、と思いました。
第2部では「養護学校はあかんねん!」という記録映画を見ました。1979年1月末、養護学校の義務化に反対して文部省(当時)に抗議行動している、寒い中デモをしたり、文部省前で《野営》をしているところは、今の経産省前のテントを彷彿させられました。国会議員にしょうがいしゃの皆さんが訴えるシーンでは、「社会がしょうがいしゃをつくる」「介護して下さい、と言えなくさせる社会」という言葉に、30年以上前のしょうがいしゃの皆さんが訴えていたことが、今の教育の現場でも起こっている、と感じました。