町田市役所に行って話しを聞いてきました

 町田の朝鮮学校を訪問し、お話しを伺い、その後、町田市教委総務係長の高橋さんに話しを聞いてきましたので報告します。

 私は初めて町田の幼初級朝鮮学校に伺いました。
 閑静な住宅街の中にあるきれいで素敵な学校でした。

 李校長先生は「3月28日、学校教育総務課長が来て、防犯ブザーを配布しないと聞いた時には体が震え『子どもたちがどうなってもいいと思ってるんですか』と大きな声をあげてしまいました。私の声の大きさに驚いて、何事かと職員が飛んできたほどでした。本当に恐ろしいと思いました。先ほど学校教育部長から電話で撤回すると言われたが、悪いことをしたという感じではありませんでした。電話ではなく、学校に来てちゃんと説明してくださいと言ったら、日程調整すると言って電話を切りました」と話されました。

 市役所へは図工の講師でもある校長先生のお嬢さんが車で送ってくださいましたが「多くの日本人の方がたに応援してもらって励まされています。防犯ブザーも子どもたちみんなに配れるぐらい届いています」と話されていました。

 おそらくそうだろうと思いながらも、私たちも防犯ブザーを少し持っていきましたから、何かしないでいられない、みんなの気持ちは同じだと思いました。

 しかし一方でひどい電話等もあるようで、子どもたちに何か起こらないかとても心配していると話されていました。

 朝鮮学校の校長先生は、枝川も京都も仙台も福島も、みんな同じ印象が心に残ります。

 子どもたち、そして一世がつくった自分たちのウリハッキョを守るために満身創痍で北風の前に立ち続けている、そんな印象です。…本物の教育者です。

 ウリハッキョはそういう人たちのいのちをかけたバトンで守られてきたんだなあと思いました。

 次に向かった町田市役所は新しく、ぜいたくなつくりでちょっとびっくりしました。

 新課長は記者対応で忙しいようでした。

 この4月に異動してきた高橋係長(若い女性で、何度も昇格して係長になったと言っていました)の話しは以下の通り…

 本日(8日)午前中に教育委員に集まってもらい、今回の件について報告し、意見を集約した。(教育委員がこの件で集まるのは初めてとのこと)

 教育委員からは
・こんな町田市の教育委員会の姿勢が問われる重要な問題について、教育委員会に諮りもせず、事務局の職員だけで決定したことは問題。

・防犯ブザーの事業は2004年の池田小事件を受けて(これは国立市も同じ)始まったが、事業実施の要綱もなく、基準もないままに公立小中学校に配布、翌年からは公立小学校の新入生と、要望がきた私立小学校の新入生(和光鶴川学校、玉川学園、日本聾唖学校、朝鮮学校など)に配布してきた。(予算は単価299円×4,000個、総額120万円)今回の反省を踏まえ、不明確な事業のあり方を見直し、要綱等整える。

・教育委員会としては、社会情勢のみで判断すべきではない。
子どもの安全を当然大事にしなくてはならない。

 以上の意見を踏まえ、事務局として配布することを決定し、学校に電話したとのことでした。

 高橋係長は何度も教育委員さんにお叱りを受けたと話していました。

 高橋係長と課長は二人共に今回の人事異動で就任したそうで、今回の件について、高橋係長は「あくまで私の個人的な考えですが」と前置きした上で、組織決定したことが文書に残っていないことや、口頭での協議で決定されたことに正直驚きました。こういうことを改めるというような話しをしていました。

☆3月28日に至る経過

 2月22日に教育総務課から防犯ブザーの希望を聞く調査をした。(照会文書の決裁あり)

 3月上旬朝鮮学校から45個の希望がFAX(といったような)で届いた。

 事業担当事務局(総務課)で、今の社会状況(一連の北朝鮮の問題)で配布するのはまずいのではないかの議論がなされた。(記録はない。後日の聞き取りで確認したとのこと)

 3月28日の午前中に口頭での協議で配布しないことを決定。

 同日の3月28日の午後、当時の課長が、朝鮮学校にそのことを伝えにいった。(これも記録なし)

 ※他の私立校に対しては配布決定の決裁文書は残っているが、希望が出ていたにもかかわらず配布しない決定の決裁文書はない。

 なお、教育委員は知らなかった。今回の意思決定に加わっていないことは確認しているとのこと。

 学校教育部長は加わっていたのかについては、なぜか答えませんでした。

 以上です。

 つっこみどころがたくさんありましたが、朝鮮学校に迷惑が行っても困るので極力、静かに話しを聞いていました。

 引き続き、町田市教委を注視していきたいと思います。

 帰りしな、一緒に行った方はしきりに、担当職員が口頭で決定するなんて、ありえない、個人が消え、組織の名の元にこんなことがなされてしまうなんて、戦争の時と同じ構造だ…というようなことを話されていました。

 ひとりで行かなくてよかったと思いました。