戦争拒否!9条は宝!武力に頼らず、人間の知恵に頼れ! 小さくてもいい、声を集めようよ!

本日は公民館で「砂川闘争から安保・集団的自衛権を考える学習会」を開きました。

会場となった集会室にぎっしり集まり、ドキュメンタリーフィルム「流血の記録・砂川」と島田清作さんの話しを聴きました。

今の立川のイケヤや昭和記念公園や新しくなった立川市役所や女性センターアイムやホテルや災害病院、警察署、自衛隊基地がある一帯が戦後しばらく米軍基地であったこと。

その米軍基地は他の基地と同様に農民の農地を有無を言わさずブルドーザーでつぶしてできた基地であったこと。

その時、ひとりの農民がいのちがけで交渉し、貸借の証文をとったこと。
1956年に基地拡張の話しが持ち上がった時、立川は首長、議会、消防団など全ての団体が反対し、そこに全学連や労働組合が応援に集まり、米軍の基地を拡張の測量への反対運動をおこなったこと。

その記録が「流血の記録・砂川」です。警棒で突かれるのでお腹に新聞をまき、武器は持たず、スクラムくんでいる人間の壁とそこを警棒を振り回して突き崩そうとする警察…

突き崩しても突き崩してもあとからあとから生まれる人間の壁…

その非暴力の闘いが奇跡の勝利を導き、拡張は取り止め、翌年には立川の米軍基地そのものがお隣の横田基地に移り、その後は膨大な国の土地が残り、それが開発されて、今や多くの官公施設や商業施設や公園が誕生したわけです。

農民の土地を奪って基地にしたのだから、本来は返すべき土地にもかかわらず、高いお金で土地を売った国は許せないけれど、それでも、米軍基地が撤退したことで、どれほど地域の暮らしに役だっていることか、米軍基地のままだったらと想像すると、いかに基地がその地域の人たちの暮らしを奪うものであるかわかります。

島田さんは19歳の時に砂川闘争に加わり、今も「砂川を記録する会」や米軍基地は9条に反するという地裁判決「伊達判決を活かす会」の活動をおこない、アメリカ大使館と最高裁判所長官との政治的やりとりがアメリカ公文書として開示されたことから、裁判のやり直しを求める再審請求にも関わっておられます。

島田清作さんの話しを聞いて、やっぱり変なことには変だと言おう、あきらめない、小さくても、集まって語り合おう、(やったことがない)スクラムも組んでみよう、非暴力の行動の方が、本当は暴力より強いのだということを、戦争は二度としてはいけないということを、子どもたちを戦場に送ってはいけないということを、人間の壁となって訴え続けなければいけないと思いました。