4月25日、衆議院会館で開かれた高校無償化から朝鮮学校を排除していることに対して、国連への要請行動の記者会見及び院内集会(オモニ会全国連絡会主催)に参加しました。
朝鮮学校問題というと、朝鮮学校の問題のように思う人がたくさんいるのではないでしょうか。
それは、しょうがい者問題がしょうがい者の人の問題ではなくて、しょうがい者の人たちが抱える暮らしにくさや、生きにくさの問題であるのと同じように、朝鮮学校問題は朝鮮学校を取り巻くこの日本社会が抱える問題を指しています。
この前提がなければ、おかしなことになってしまいます。そのおかしなことが福生市による外国人学校保護者補助金の廃止で、朝鮮学校だけを排除した高校無償化の問題です。
院内集会からの帰りに、あるオモニがこういう話しをしてくれました。
私の娘は高校まで朝鮮学校で、看護師になりたくて、高校を卒業して専門学校に行き、専門学校卒業後、立川の病院で働き、さらにキャリアをつけたいと、今はオーストラリアに行っています。彼女は朝鮮学校しか知らなくても、専門学校から病院で働くまでの間に日本人の友だちがたくさんできました。彼女がオーストラリアに行くときには、たくさんの方々がとても嬉しい言葉でメッセージをくれています。
もしも朝鮮学校が反日教育をしているならば、こういうことにはならないと思います。朝鮮学校の魅力は、コミュニケーションの力がつくというか、人が好きになるということではないかと思っています。人が好きになるということは自分が好きだということです。娘は本名で生きることの自信と自分への尊厳を朝鮮学校で身につけました。だからこそ、それ以降のところに行ったときに、誰とでも友だちになれていったのだと思います。
私はこの言葉こそ朝鮮学校の本質を表していると思いました。
自分自身を肯定できる、そういう教育こそが本当の教育ではないのか。これは日本の学校にも同じことがいえるのではないだろうかと思いました。