「三里塚は今」フィールドワークに参加して ―2―

「私はここで農業をやりたいだけなんです」

 市東さんは、私たちに「ここで農業をやりたいだけなんです」と言っておられました。

 この土地は、小作人が鋤(すき)や鍬(くわ)1本で竹やぶを開こんして畑にしたのです。戦後、農地解放で、本来は小作人に農地所有が認められたところを、この土地ではそうなりませんでした。そこに空港を造るということで、お金を出せば出ていくだろうと、軽く考えたのではないかということでした。

 成田空港の土地収用の問題は、戦後の農業の在り方を問う裁判になっているとの話しを聞き「この土地で農業をただやり続けたいだけ」という思いが、
なぜ過激派の不法行動のようにされてしまうのか?
なぜメディアは市東さん側からの報道をしないのか?
なぜ県は農民を守る側に立ちきれなかったのか?
 裁判所も、
なぜ国側の擁護に傾いていくのか?
なぜ国会議員は1人も視察に来ないのか?
 納得がいきませんでした。

 裁判の中で、本来、農地を取得できない公団(当時)が、地主から土地を取得していたことや、市東さんのお父さんの契約書のサインが偽物であったこと、土地の地番が間違えていることなど、いくつも「違法」なことが起きているにもかかわらず、そのことを裁判所がなぜ取り上げないのか?

 始めて訪れた三里塚で、私は以上のような事実を知り、大きな衝撃を受けると同時に、その場で感じた幾つもの「なぜ」は原発や、朝鮮学校への排除問題、沖縄の基地問題にも通じる構造からくる問題であると思いました。