Aさんが出会った成年後見人

ひどい咳は、良い呼吸器のお医者さまに出会えて、治まりつつあります。
昨日、1週間ぶりに通院、どれくらい空気を吸えているか調べました。
なんと、成人女性の半分ぐらいしか気管支が機能していないことがわかり、薬を継続することになりました。50%しか開いていないのに、私の気管支よく頑張ってくれている、えらいなあ!気管支よありがとう!という気分がわきました。
咳は治まりつつありますが、その延長で腰がギックリしてきました。私の腰も悲鳴をあげあげ頑張ってくれています。
体は心の家であり車みたいなものですね。たてつけが悪くなったり、エンストしたり……。やどかりみたいに、じゃあ取り換えましょという訳にはいきません。メンテナンスをしながら大事に使っていかないとと思います。
ガタピシだけど、この家と車がけっこう気に入っていて、好きなんだなあ。

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ここからが本題です。

シルバーピアで粋なひとり暮らしをされていたAさんが一昨日の夜、亡くなられた。90歳だった。
Aさんは4年前に、こわい幻覚など認知症の症状が出だした。
幸い、市役所がつないだいいケアマネに出会い、デイサービスから特養に入り、心不全を起こし、病院に入り、最後にとても家に帰りたがったので成年後見人の力で帰宅、病院やヘルパーさんの支援を受け、成年後見人に見守られながら、念願の自宅で逝った。

子どもはいるはずだが、連絡はつかない。歌舞伎が好きで、詩をかいていた粋なAさんは、友だちがいるシルバーピアでのひとり暮らしを気に入っていた。
認知症になってから亡くなるまで、Aさんのライフスタイルは変わらなかったような気がする。
それは彼女の人生のまっとうをサポートした良きケアマネ、良き成年後見人との出会いがあったからだと思う。

訃報を聞いてかけつけると、成年後見人さんが付き添っておられた。
Aさんを送り出し、お骨をAさんが用意したお寺に持っていき、部屋の荷物を整理し、きれいにして明け渡す……。最後まで、その成年後見人がやってくださるとのこと。
この後始末は、成年後見人の仕事ではない。だけどAさんの思いと尊厳にたち続けると、やらないではいられないのだろう。
Aさんが逝くときも成年後見人さんが手を握り続けていたそうだ。夜中だったそう……。

テーブルの上に、若かりしころの素敵なAさんの写真が数枚置いてあった。
聞くと、入ってくれるヘルパーさんに今の動けなくなったAさんが、どんな人であるか、知ってもらうために置いたと、成年後見人さんが話してくれた。
施設での虐待は、その場のその人しか見れていないことが原因となる。その人がどういう人生を歩んできた「人」なのかを知らせる「尊厳への指導」が不可欠と成年後見人さんが教えてくださった。
旅の写真、歌ってる写真、絵の展覧会でお友だちと一緒の写真、会議に参加している写真、美しい着物姿……。
本当にかっこいい人生だった。

Aさんは家族から離れたけれど、ひとりの人生を、シルバーピアから始め、りっぱにまっとうした。
「みんな、自分で判断できなくなったら、成年後見人を使うといいのに」と、成年後見人さんが話された。
成年後見人を付ける人はお金がある人ではない。財産に関係なく、自分の尊厳を守り抜くために必要なんだなあと思う。
国立市もようやく、成年後見人助成制度がこの4月から導入される。
Aさんが出会ったすばらしい成年後見人さんは、実は、Aさんが認知症になった時に市役所から紹介されてきたケアマネさんだ。
私は、こういうケアマネ、成年後見人さんが多く出てきて欲しい。
そして、こういうケアマネ、成年後見人を育成できるしくみを作らなければいけないと思う。
Aさんからの私への遺言は、そのことではないかと思えてならない。
夜が明けたら、福祉保険委員会だ。どこかで、Aさんの話しをするつもりだ。
そして、成年後見人制度の推進を提案しようと思う。

明日はAさんの旅立ち。立ち会えないけど、Aさんを思いながら質問するよ。ありがとう!